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講演会レポート①「ハンセン病とコロナ」

11月6日に開催されたアトピー性皮膚炎講演会。最初に登壇されたのは望月富美絵さん(厚労省講師派遣事業講師)。

 

ハンセン病 無癩県運動>
強制隔離の方針のもとで患者の隔離を推し進めるために取り組まれたのが、「無癩県運動」。

都道府県ごとに患者のあぶり出しと隔離を行い、患者がいない状態を実現することを目的として官民合同で取り組まれたもの。患者の発見を容易にするために密告が奨励され、強制力をともなった官憲による連行も行われました。


無癩県運動のなかで強調されたのがハンセン病「恐ろしい伝染病である」というメッセージです。

ハンセン病危険性を過度に強調して恐怖心をあおり、ハンセン病に対する偏見を国民に植え付けることになりました。

患者が出た家は、真っ白になるほど消毒され、それはハンセン病に対する人々の恐怖心を増幅させるとともに、その家から患者が出たことを周囲に明示するものでもありました。そのため、患者が出た家は差別と排除の対象となり、離婚、失業、一家離散、一家心中、自殺に追い込まれることもありました(国立ハンセン病資料館HPより抜粋)。 

 

これって、今のコロナのやり方とそっくり‼️

 

1943年にアメリカで「プロミン」という薬ができて、治せる病となった後も、日本では強制隔離が続けられたという。

遺伝子を残さないために断種の手術も行われていた。

掻爬した胎児のホルマリン漬けは、ごく最近まで保管されていたが、知らない間に処分されていたとのこと。

 

1998年7月31日に提訴したハンセン病国家賠償請求訴訟は、2001年5月11日に勝訴。

国は控訴を断念し、判決は確定。

国が非を認めて謝罪し、賠償金が支払われることになった。

 

にもかかわらず、約2万人の元患者は未だ隠れたままだそうだ。今も、差別や偏見がなくなっていないことを表しているのだろう…

<ご家族のお話し>

望月さんのお父様は軽いハンセン病を患っていたため、お母様は自力で病について学んで出産を決断❗️

妊娠が見つかれば、強制的に堕胎させられる時代だったにもかかわらず‼️

 

「私が証明してみせる!」と4人の子どもを産み、育てた。

 

国に「NO‼️」を突きつけ、母子手帳もなかった。

ワクチン接種を促進するために導入された母子手帳だから、望月さん達兄弟は、一切のワクチンを打ったことはない。

もちろん、4人とも健康で若々しく元気に暮らしていらっしゃるとのこと。

 

だからこそ、ワクチンの必要性がわからない…

 

<恐ろしい本当の話し>

当時、強制隔離されて収容所に送られた人の6割が子どもだったという。

それは、学校の教師が密告したからだった。病が見つかると、その日のうちに親から引き離され、二度と故郷へ帰ることは許されなかった。

 

この酷い話は、ハンセン病患者の方が受けた被害の序の口に過ぎない。

 

望月さんは涙を流しながらおっしゃった。

日本は世界的に見ても、特異な黒歴史を持っている。同じやり方で、二度とだまされないように、みなさんに知っていただきたいのです」と。

 

📗忘れがたい小説「あん」https://www.poplar.co.jp/book/search/result/archive/8000873.html

🎞忘れがたい映画「あん」http://an-movie.com/sp/

📕一歩踏み込んでお勉強📝

熊本県HPより抜粋https://www.pref.kumamoto.jp/uploaded/attachment/49332.pdf

ハンセン病国家賠償請求訴訟>

1998(平成10)年7月31日、国立ハンセン病療養所の入所者13人が、国を相手取り熊本地方裁判所に国家賠償請求訴訟を起こした。

 

2001(平成13)年5月11日の熊本地裁判決は、ほぼ全面的に原告側の主張を認めた。

 

隔離は、「ハンセン病予防上の必要を超えて過度な人権の制限を課すものであり、公共の福祉による合理的な制限を逸脱していたというべきであり」、「その違憲性は明白」。

さらに、これを 1965(昭和40)年に至っても放置し続けた国会議員の行為も違法であり、 「国会議員の過失も優にこれを認めることができる」と判示した。

 

さらに判決は、原告らの被害を、「人として当然に持っているはずの人生のありとあら ゆる発展可能性が大きく損なわれ」た人格そのものに対する被害であると評価した。