「生」🌳
コロナは、私たち社会のさまざまを炙り出してくれた。
「コロナ」の受け止め方は、もちろんそれぞれ異なる。
けれども、
明らかに二つに分かれていた。
「まったく訳がわからない恐ろしいもの」
と、怖がる人。
他方で、
「コロナのおかげで大切なものに氣がついた」
と、前向きに受け止めた人。
同じ一つのことでも、受け止め方によって、結果はまるで違うものになるということを、明確に見せてもらった。
WOODYのお客様の多くが、後者の方だった。
「おかげで、本がたくさん読めた」
「長時間の会議に意味がなかったと痛感した」
「自粛させられた期間で、体を整え、自己免疫を上げるようにシフトできた」
「こんなご時勢でも仕事が忙しく、がんばらなければ」
などなど。
「不要不急」
ということについても、みんなそれぞれに考えただろう。
広辞苑によれば、「どうしても必要というわけでもなく、急いでする必要もないこと」とあった。
「不要不急の外出は自粛を」と強いられた日本。
他方、
「クリスマスに集まれるように、少しの間、外出を控える協力を」と求めたヨーロッパ。
イタリアの思想家ジョルジョ・アガンベンは、
「ロックダウンに従うな」とメッセージしたという。
生きていれば、それでいいのか❓
死んでいなければ、生きていることになるのか❓
不要不急と括られた音楽や映画などのさまざまなが、私たちを「生きた」存在にしてくれているのではないのか⁉️
つまり、
「尊厳ある生」でなければ、生きているとは言えない。
アガンベンのメッセージの意味はそこにあった。
「コロナ」というウィルスの存在が証明できないことが、世界的に明確になった今も、
まだ国の呼びかけに応えてワクチンを打つ人。
マスクによって、ウィルス予防ができないばかりか、体に害があると証明された今も、
マナーと言ってマスクをはずさない人。
国やテレビの言いなりで、自分の思考は止まっていない⁉️
命をいただき、生まれてきた奇跡のひとときを、「生きている」と言えるだろうか…👽