📗出会えた本「みんなが手話で話した島」
最近なんだか、「障害」に関する情報によく出会う気がする。
昨日、書店で出会った本は、「障害をもつ者ともたない者の共生。この理念を丹念なフィールドワークで今によみがえらせた」という文化人類学者による報告書だった。
長らく絶版となっていた「文化人類学の幻の名著」。
それが文庫となって復刊されたという。
ボストンの南に位置するマーサズ・ヴィンヤード島。
遺伝によって耳の不自由な人が数多く生まれたこの島では、聞こえる聞こえないにかかわりなく、誰もがごくふつうに手話を使って話していたー。
「訳者あとがき」によると…
『本書でグロースは、300年間にわたって健聴者がごく自然に手話を覚え、ごく自然に手話でろう者と話していたヴィンヤード島の暮らしを、文献資料とオーラル・ヒストリーを駆使して見事に活写してみせている。
そうすることでグロースは、だれ一人聴覚障害をハンディキャップと受け取らなかったという意味で、
ハンディキャップのない社会が存在し得たことを実証してみせたのである。
グロースには、生理的、機能的、個体的レベルを超えて社会的レベルで障害をとらえようとする視点がある。
「能力不全を不利にならしめている社会条件」に目を向けようとする視点である。それはいわば、「障害者の側だけに適応の負担のすべてを押しつけ」ようとする社会への異議申し立てといってよい。
本文でもっとも読みごたえがあるのは、おそらく島民によるオーラル・ヒストリーをまとめた箇所であろう。
ここでグロースが、島民から巧みに話を引き出していることを見逃してはなるまい。
ろう者に対するなみなみならぬ理解と共感がなければ、これほどの話を引き出し、またそれを説得力のある形でまとめ上げることはできなかったはずである。
グロースがいう通り、島民はかならずしもろう者の処し方の理想像を与えているわけではない。
島民が示したのは、社会の適応によってハンディキャップが取り除かれ得る可能性なのである。
ろう者が社会に溶け込むのに手話が大きな役割を果たしたこと、その手話をろう者も健聴者も幼児期に自然に身につけてしまったことなどといったことは、
ろう者と健聴者の共生のあり方を模索している者に、さまざまな示唆を与えてくれるだろう』
最近考えている「障害は、社会が作り出している」ということにも通じる…
うん、俄然読みたくなってきた❗️
Hayakawa Books & Magazines(β)
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